絶望と無
身体拡張の先にあるものは、
身体を超越するものだ
それが魂であれ無であれ
私はその最終形態なるものに憧憬を抱き続けている
私たちが生きていると信じているこの現実は、あくまで事象の集積でしかない
この”自由な”身体を以って虚構の”世界”という檻の中で踊り歌う鑑賞鳥に過ぎない
例えば明日私が視力を失おうと、手足を失おうと
多分そんなことは重要ではないのだ
むしろ、もしかしたらそれが身体拡張なのかもしれないのだ
生まれたままの姿に安寧を見出して思考停止しているのは、
他ならぬ我々の方なのではないか、と
僕らの身体は僕らの意識が生まれる前から受け継いできた情報を詰め込んで
僕らが妄想しているより賢くて、単純で、
多分、純粋だ
絶望と無ならば
無を。